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秋の休日,なにもなく.

2012年10月15日(月)

晴.
休日.


スーパーに買い物行き,あとは終日,おとなしく?家にこもる.
こもって何をやるでなく,ごろごろ.


吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち
瀬尾育生
言視舎

棺一基
大道寺将司全句集
太田出版


松本三和夫『構造災』(岩波新書)を読んだ.
何度か,やめようと思ったが,とにかく読んでみようと.
通勤の電車の中で,睡魔にたびたび妨げられながら.
違う,と思う.なぜ,どう違うか,この中身に乏しい脳みそでは,
うまくあらわせないけれど,ちょっと違うんじゃないか,と思った.


【朝日】で,
「40歳定年説」の柳川範之さんが,インタビューに答えている.
学び続けなくてはならない……といわれて,
ふつうに才能を与えられ,
ふつうの家庭に育ったような市民にとって,
それでどうしろっていうのか,となるように思う.

恩師は,50を過ぎて,大学を変わった.
本人は,もっと若い頃に,同僚の教員と,そうしたいと話し合ったといっていた.
その同僚教員も,ほぼ同じ時期に,大学教員を辞めた.

それで柳川さんは,どうされるのだろう?
大学教員は,40歳定年サラリーマンとは違うのかもしれないが.


同じく【朝日】に「歴史教育」についての記事があった.

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【朝日】2012年10月8日(月)

歴史教育―世界の中の日本を学ぶ


 もっと近現代史を学校で教えよう。尖閣諸島や竹島の領有権問題をきっかけに、政治家が相次いでそう発言している。

 田中真紀子文部科学相は就任会見でこう語った。教科書は現代史の記述が薄い。ファクトはファクトとして出す。自分なりの考えを持てる人間を育てる。そうでないと、国際社会で発信力のある日本人はできない。

 橋下徹大阪市長も「相手と論戦するには、相手の立場を知らなければ」と話した。

 領土や歴史認識についてどんな立場を取るにせよ、中韓を始め近くの国との関係について史実を知っておくことは大切だ。

 近現代と東アジアを中心に、世界の中の日本を学ぶ。そんな歴史教育に見直してはどうか。

 高校の授業は標準で週30コマ。総合学習や情報など科目が増え、理科離れも指摘される。歴史だけ大幅には増やせない。制約の中でどう充実させるか。

 日本学術会議が昨年、興味深い提言をしている。高校の世界史と日本史を統合し、「歴史基礎」という新しい必修の科目を作るというものだ。

 科目のつくりかえは簡単ではないが、真剣に耳を傾けるべき提案だ。現場で実験的な授業も始まっている。文科省は長い目で検討を深めてほしい。

 提言はこう訴える。

 日本史を世界史と切り離して一国史的に教える傾向がある。

 日本史で外国が描かれるのは戦争や交流があった時だけ。かたや、世界史のアジア史の項には日本がほとんど出てこない。

 日本が他国と関係なく歴史を刻んでいるかのようだ。

 グローバル化の時代を生きる若者に、異文化を理解し、共生する姿勢を育む。そのために、世界史の中に日本史を位置づけて教えるべきだと説く。

 とりわけ近隣の国民と健全な関係を築くために――と、近現代史と東アジアの重視を打ち出しているのも目を引く。

 日本史は中学と高校で同じような中身を繰り返す。世界史と日本史も大戦期などは重なりが多い。整理して無駄を省けば大事な時代に時間を割ける。

 世界史と日本史が分かれたのは、明治政府が「国史」と「万国史」を分けて以来という。近代国家として発展する中で「国史」が国の威信を高めるのに使われたと指摘される。

 もうそんな時代ではない。海の向こうの金融危機が国内の雇用に響く。経済ひとつとっても自国の中では完結しない。

 必要なのは、退屈な丸暗記ではない。「いま」を考えるのに役立つ勉強だ。
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そういえば,同じ【朝日】に,

ナチの犯罪、終わらぬ追及 収容所の看守を新たに立件
10月11日

という記事もあったようだ.

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ナチの犯罪、終わらぬ追及 収容所の看守を新たに立件


[写真]強制収容所で働いたり、親衛隊に所属していたりした人間の名前や経歴を記録したカード。約70万人分の記録が保管されている=ルートビヒスブルク、松井健撮影

[写真]ナチ犯罪追及センターは、かつて女性刑務所だった建物が使われている=ルートビヒスブルク、松井健撮影

[写真]ナチ犯罪追及センターのクルト・シュリム所長=ルートビヒスブルク、松井健撮影


 【ルートビヒスブルク(ドイツ南西部)=松井健】第2次世界大戦終結から67年。ドイツでは戦争犯罪の追及が今も続く。ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の舞台、アウシュビッツ強制収容所の元看守に対する新たな訴追手続きが山場を迎えている。

 「この男がアウシュビッツの看守で、貨物列車で運ばれてきたユダヤ人たちの(死か労働かの)選別の場や監視塔で働いていたことは十分に立証できる」

 ドイツ南西部ルートビヒスブルクにある「ナチス犯罪解明のための州司法行政中央本部(ナチ犯罪追及センター)」で、クルト・シュリム所長(63)はそう明言した。

 容疑者は元看守のヨハン・ブライヤー氏(87)=米フィラデルフィア在住。戦争中にアウシュビッツ・ビルケナウ収容所で働き、少なくとも34万4千人のユダヤ人殺害に関与した疑いがもたれている。ブライヤー氏はAP通信に、看守だったことは認めたが、殺害への関与は否定している。この件は8月に南部ワイデン地検へ送られ、現在起訴するかどうかの検討が続けられている。

 センターが自信を抱く根拠となっているのが、昨年5月のミュンヘン地裁の判決だ。ソビブル収容所の看守だったジョン・デムヤンユク元被告(今年3月に91歳で死亡)に禁錮5年を言い渡した判決で、「(被告は)人間を組織的に殺害する目的の機構の一部だった」と認定。本人が実際に殺害に手を下したかどうかの立証は必要なく、大量殺害のみを目的とした絶滅収容所との関係を立証すれば十分だ、と判断した。

 「我々にとって状況を大きく変える判決だった」とシュリム所長は言う。個別の殺害の立証には大きな困難を伴うが、絶滅収容所での勤務の証明は比較的容易だからだ。

 センターはこの判決を機に、これまで立件困難と判断してきた類似ケースの洗い直しを進めている。容疑者が死亡していたり、見つからなかったりするケースが多いと見られるが、さらに10~15件ほどの立件の可能性を視野に入れている。

■70万人分の名簿管理

 ナチ犯罪追及センターは1958年に設置された。ドイツの各州司法当局が裁判官や検察官らを派遣。管轄区域にかかわらず、ナチの犯罪を捜査・解明するのが目的だ。

 現在の人員は約20人。ナチ親衛隊員ら約70万人分のリストなど膨大な資料を管理し、米国やイスラエルなどの機関とも協力する。冷戦終結後に資料閲覧が可能になった旧東側諸国や、多くのナチ戦犯が逃亡した南米諸国にも捜査官を派遣する。その後、犯罪が行われた場所や容疑者が住んでいた地域の地検に事件を送る。

 戦後、ドイツの戦犯は連合国によるニュルンベルク裁判などで裁かれたが、冷戦と東西ドイツ分断もあってドイツ自身による戦犯追及はなかなか進まなかった。「ナチの過去の追及には終止符を打ちたい」という国民感情も強く、センターに対し「裏切り者」という非難もあった。

 しかし、イスラエルでのアイヒマン裁判などもあって、ドイツは戦犯追及を含む「過去の克服」への取り組みを継続する。長い議論の末、79年には計画的な殺人(謀殺)罪の時効撤廃も決まった。センターによると、58年以降、約7500件を捜査。最近も年平均20~30件を追っている。

 とはいえ、司法追及の限界もある。容疑者も被害者も高齢化し、死亡していることも多い。センターが捜査した事案のうち、起訴は1割以下という。1日には、イタリアでの住民虐殺事件で元親衛隊員の犯罪を「十分に立証できない」としてシュツットガルト地検が起訴を断念した。オランダで終身刑判決を受けた後、ドイツに逃亡した元親衛隊員の引き渡し手続きが進まないまま、今年死亡した例もある。

     ◇

■「何が起きたか、解明に責任」 シュリム所長に聞く

 ナチ犯罪を追及する意義をシュリム所長に聞いた。

 我々の仕事は、何が起きて、だれが行為に関わったかを確定することだ。戦後70年近くがたって、病気の高齢者を法廷に立たせることに意味はないとも言われるが、家族全員を一度に失った犠牲者に対し「もう終わり」とは言えない。犠牲者に償うことはできないが、当時何が起きたかを解明しようとする道徳的責任はある。

 ある同僚は「収容所で犠牲者たちは年齢を問われなかった。87歳も1歳も同じように殺された。だから、容疑者の年齢を私は気にしない」と言っている。

 上からの(殺害)命令に「従っただけ」の者の責任を問う一方で、命令を下した多くの者が問われていないというのは事実だ。だが、命令だったか、自発的だったかは、量刑判断で考慮されるべきであり、責任を追及しない理由にはならない。

 不法に平等はない。つまり、同じような犯罪をした他人が罪に問われないからといって、罪を逃れる理由にはならない。すべての泥棒が逮捕されないからといって、逮捕した泥棒を無罪にしないのと同じだ。

    ◇

 〈ホロコースト〉 ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺。ヒトラーが1933年に政権を握ると、ユダヤ人迫害を開始。第2次大戦開始後に大量虐殺が始まった。占領下のポーランドのアウシュビッツやソビブルなどの収容所にユダヤ人を移送し、ガス室などで殺害した。45年までに約600万人が殺されたとされる。移送の責任者アイヒマンは戦後、南米に逃亡。60年にとらえられ、エルサレムで死刑判決を受けた。
…………………………………………………………………

日本史,ときに一部の大学では「国史」と今なお呼ばれているらしいが,
一国主義とでもいうのだろうか,
四囲を海に囲まれて,「世界」とは無縁だと,縁薄いのだということ,なのかもしれない.
しかし,たぶんそんなことはなくて,東海の小島とはいえ,
近隣世界のみならず,世界のなかのメンバーであることに変わりはなかったのだろう.

生麦事件の企画展示があったけれど,
もうすこし広い世界のなかに,この東海の小島をおいてみて,
ながめてみることが必要だったのではないかと思う.

宮本常一さんだったか,
たとえば琉球の漁師の行動範囲は,じつはとても広かったのではないかと書いていた.
とすれば,台湾の漁師もそうでなかったとはいえないだろうし,
もっと南洋の漁民はどうだったろうか?
半島の民はもっと近かったはずだ.
北方の民は,さらに北方,シベリアの内陸にまで通交圏をもっていたともいうではないか.

生麦事件は,あるいは,そこから派生したいくつかの紛争は,
素朴攘夷主義では,この列島が立ちゆかないことを,
理解させたのではなかったのか.


うまい酒,うまい肴…….
秋は,いい季節だ…….

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